「日本神判史 盟神探湯・湯起請・鉄火起請」清水克行

日本神判史 (中公新書)

日本神判史 (中公新書)

『夏目房之介の「で?」』の紹介が興味深かったので購入。
夏目ブログではまず文章の上手さを褒めていましたが、確かに読みやすくて面白い。
そして書かれている内容自体も面白かった。
日本書紀などに描かれている盟神探湯(くかたち)、鎌倉時代に盛んに行われた参籠起請、室町時代の湯起請・戦国〜江戸初期の鉄火起請と、犯人捜しや紛争解決のために湯に手を入れたり赤く焼けた鉄を持って、火傷の有無により神意を問う公的な裁判としての神判の歴史と移り変わりとその考察が主な内容。
盟神探湯とその後の起請を起請文の有無によって断絶があるとしていったん別枠においた上で、参籠起請⇒湯起請⇒鉄火起請とより正確な神意を知るためにだんだん過激になっていくのは、当時の人々の神意に対して逆に懐疑が深まっていったが故とし、懐疑が頂点に達し誰も神意を信じなくなった時点で起請は消滅。神事としての鉄火起請は博打としての鉄火場に零落してしまったという。

最後の方には世界各地の神判の紹介がされており、面白いのが中国では日本はもちろんヨーロッパと比べてもずっと早く西周春秋時代にはに神判が消えてしまったという。著者は中国における法律や裁判制度の発達が神判の消滅を後押ししたとしている。神判とは契約書など裁判において明確な証拠が存在しない時に持ち出されるものであり、中国では早くから契約が文章化され証拠として採用されていたらしい。日本において江戸時代に入るとともに起請という神判が消えてしまったのは、神意を上回る動かぬ証拠が日常的に記録されるようになったからだと考えられる。

これを読んで思い出したのが、京極夏彦の妖怪論。起請の変遷はそのまま妖怪の変遷と重なっているように見える。妖怪も起請も人間の理解を超えた世界に対する説明として同一のものだったのだろう。